gallu's diary

「弟子向けの口伝」を書いていこうと思います。full openな場所で恐縮ではありますが、基本「ある程度スタンスその他を踏まえている弟子向け」の文章を想定してみたいと思いますので、その辺のスタンスをわきまえられない方には、あまりお勧めできない文章になるかと思いますので、ご了承ください。

業の深いところまで刻み込んで初めて「身につく」という

とりあえずメインとしてはIT技術関連なのですが。
「知ってる」と「(日常的に)出来る」との間には、結構な乖離がございます。
おいちゃん的には深広練(しんこうれん)とか勝手にネーミングしてたりしますが、そのうちの「練」の部分でございます。
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20110425/p1
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20110504/p1


端的に書くと「知ってる、じゃなくて、出来るってところまでひたすらにトレーニングを繰り返せ」って話になるのですが。


ちょうど良いものに「業」というものがございます。
この場合は、仏教における「業(ごう)」ですね。
まずは此方の書籍をご用意ください。


蝉丸Pのつれづれ仏教講座

蝉丸Pのつれづれ仏教講座

蝉丸Pのつれづれ仏教講座


P44

身体に癖や生活習慣病があるように、口に口癖のあるがごとく、心にもまた、考え方や嗜好の癖がつくものです。

本人が自覚せずとも行動に影響を及ぼす、そういうある種の傾向が深く心に根ざしている様を「業が深い」なんて表現をいたします。
また、行為の影響を定着させることを風薫るの薫に習うと書いて薫習(くんじゅう)と表現いたします。

P45

ものに臭いがつく分には、まだ気づきやすいのですが、これが心の領域となりますとチェックがしにくくなりますし、自分で自覚がなかったりいたします。
ものの考え方のパターンや言葉遣い、人に接するときの行動原理や趣味嗜好など、「私」というOSのレジストリにどういうモノが蓄積しているのか、このお彼岸に一度チェックしてみるのも一興かと。


ってな訳で「染みつくモノ」があります。
じゃぁそれが必ずしも「不要品なのか」ってぇとそうとも限りませんで。
最近お好みのKAKERUさんのマンガから、こちらを。


大江山流護身術道場 2

大江山流護身術道場 2 (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)

大江山流護身術道場 2 (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)


P128

…難しいです!!
ただのひじ打ちなのに!


おうよ! こっから先は「技」だからね!!
何千何万と繰り返して体に叩きこみ
条件反射で自然にできるようになるまで
使えない代物と思っとけ!!

P133~

武道だの格闘技だの
恐れる必要ねぇ
どうせ咄嗟には
技なんか出せねぇ
咄嗟にモノを言うのは…
力と体重!!
そしてその両方とも
女にはな……


(諸手手刀打ち!!!)
だからこそ
(中段正拳!!!)
(後ろ肘打ち!!!)
武道家は
「技」と「型」を
何千何万と繰り返し
(掛け受け)
(中段肘打ち!!!)
「体に」たたき込む!!!
(上段掌底付き!!!)
(下段蹴り!!!)
頭ではなく
理屈ではなく
体!!!
体という第2の脳に
たたき込まれた技だけが
思考より早く
体を動かす!!!


専門学校の生徒さんなんかには、何度か「リズムゲー」とか「格ゲー」とかで説明をしました。
ん…「おいちゃんの」年齢を鑑みて、ストリートファイターIIで説明をいたします。
おいちゃんは「春麗」「ガイル」「バルログ」使いですが、ここは一般受けを狙って、リュウ&ケンで説明をw


初めの頃は「大中小のパンチのボタン」を押すのにも一瞬探すわけなのですが、まぁその辺は比較的すぐになれます。
そうすると今度は「波動拳」とか打ちたくなるのですが、意識をレバーに集中して「下・右下・右」って頑張るとパンチボタンを押し忘れて外したりします。斜めが意外と難しくてねぇ。
でも、段々なれると、割とスムーズに波動拳が打てたりします。
そうすると。
今までは「波動拳を出すこと」に脳みそを使ってた分が「無意識に」出せるようになると、相手の手を読んだりとか、他の事ができる余裕ができるわけなんですね。
言い方を変えると「頭ではなく、理屈ではなく、体で」波動拳が打てる訳ですw


リズムゲームも大体一緒ですね。
おいちゃんはDDRで、バタフライとか大好きだったのですが。
初めは、落ちてくる矢印1つを追いかけるのが精一杯なんですね。
でも、慣れると2~3つの塊のうち「覚えてるパターン」は、一目で把握できて、踏める。
段々、覚えてるパターンが増えて、塊の矢印も4~5つとかになって、複雑なステップが踏めるようになってくるんですね。


この辺って一通り「同じ事」だと思うのでございます。
で、これは「プログラミング」とか「インフラ」とか「設計」とか、その辺の技術全般にも言えるのだろうなぁ、と。


例えば…
クラスの切り方が「理屈で」分かったから、コメントの書き方が、アルゴリズムの実装と適用が、テーブル切りが、出来ます…ってのを、おいちゃんが厭う理由でございます。


ひとつには単純に「他人から口伝でor書籍から学ぶ」では学びきれない「実地ならではのノウハウやTipsやその他諸々」ってのもあるのですが。
それとは別に「頭で分かってるだけだと、実際には出来ない」ってのを大量にみているんですね。


頭で分かってるだけだと。
結局
・プログラムを組む
・「頭で分かってる」理屈が割り込んできて、コードを書く流れを食い止められながら、なんとか書いていく
・面倒になったりすると段々「しみこんでいる、汚い書き方」で書いてしまうほうが心地良いしねぇ
結果として「ダメコード/ダメ設計」が算出されてきます。
それでは駄目なんですね当たり前ですが。


なので。
面倒だと思っても、新しいテクニック…特に「頭では、よいと分かっている」ものについては。
多少、当面の効率が落ちようとも、基本的には「体にしみこむまで」しっかりとヤリ込む必要があるわけです。…締め切りとは相談しつつ、になりましょうが。


この辺は。
ある程度「ちゃんとやっている」人には割と周知の事実なのですが(実体験で理解できるから)。
出来てない人ほど「やらないし疑う」んで、まぁなんていうか…「やってみろ」としか。
そういう意味で、体育会系の人は「基礎トレの重要性」とか体で知ってるんで「プログラムもいっしょ~」とかいうと通りがいいんで楽ですね(笑



時々耳にする「プログラマは怠惰が美徳だからそんな繰り返しての修行とかちゃんちゃらおかしい」とかいうお話については。
実のところ、いわゆる「プログラマ美徳としての怠惰」って、あんまり怠惰じゃないんですよね(笑
彼らは「より一層怠けるためになら、どんな努力をも惜しまない」っていう、ある種筋金が入ってる怠惰なので(笑


エンジニアが「勤勉ではいけない怠惰じゃないと駄目だ」ってあたりは、此方を。
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20081114/p1


そこを踏まえた上で。「手を動かす方向ではなくて、頭を使う方向に」手間暇をかけなさい、って話は此方を。
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20081118/p1


結局の所「怠けるための言い訳」に何一つとして利はないものでして。
ただ、基礎トレーニングを「苦行とみなすか」「楽しいと思うか」。
プリシラ・ロバーツ(@昴)のように「毎日、2時間以上、ただ立つだけの練習をして(毎晩、1番から5番までの足のポジションだけを、2時間以上おさらいして)」、しかもそれを「心底楽しそうに笑顔でやっている」なんてほどの境地に立てるかはわからんのですが。
ただまぁ「新しい知見は、ちょっとしたものであっても、ワクテカする程度にガキな心」を忘れずにいれば、色々と楽しいんじゃないか、とか思うわけなのでございます。


まぁこの辺の心得って色々とあるのですが。
こっち側の「口伝」のほうなので、いささかごっつい話でも、まぁ、よいかなぁ、っと。


というわけで。
技術を学ぶ時は。「理解した」じゃなくて「体にしみこんだ」って言えるところまで、反復練習を繰り返して、自分のものにしていきましょう。