「亭主の趣向に下駄を預ける」重要性
ある意味、禅の初心(心の湯飲みを空っぽにする)にも通じる部分があるのだけど。
端的には「己の狭い了見のみで、早急な判断をしすぎない」事。
考え方も娯楽も味覚もすべからくそうなんだけど。
「善し悪し」の他に「分かりやすいわかりにくい」ってのもあって。で「わかりにくいのはすべからく悪」ってのは、ちょいと了見が狭いに過ぎる。
っつか「分からない」理由が「相手の伝達能力」に起因しているのか「己の頭の足りないっぷり」に起因しているのか、って話にもなるしね。
見方を変えると、その辺って単に「てめぇに余裕が無いだけ」とも言う。
余裕があるからゆったりと構えてられるし、余裕が無いから「自分の足下を崩される前にとにかく潰さなきゃ」って躍起になる。
早合点ってのは、何一つ旨みの無い「絶対に避けるべき」行為の一つ、なので。
相手の趣向に下駄を預けられる、くらいの心の余裕と強さは、持っておきたいところさね。
その上で「明らかにアウト」なら、教育するなり説得するなり論破するなり殴り飛ばすなり吹き飛ばすなり殲滅するなり、すりゃいいんだから。